橋本治と内田樹
なんだ、こういうのが出てたんじゃん、ほんとにアストロモモンガ読んでんじゃん(笑)。
ということで早速読んでみたが。。。
やー、なんかやっぱり橋本治って、読むと仕事する気がなくなりませんか?
脱力するっていうか、そこまでやんなきゃいけないの?みたいな気がしてきて。だめだこりゃって。
橋本 週に二冊本を読まないと、っていう強迫観念のようなものがある。そういう人にも読めるようなものをつくっていかなくてはいけないから、本の質も変わるのではないですかね。俺の本を週に二冊も読んだら、頭がおかしくなる。
とありますが、もしかすると本当かもしれないと思った。
昔夢中で桃尻娘とか読んでた頃のことを思い出した。
まあしかしこの、言いたい放題言ってるおじさん達は一体何なんですかねえ、という話ではあるな。昭和30年代が良くて、今はだめで、若い人もだめで、みたいな話ばっかで。
こないだの「おまえが若者を語るな!」の人とか読んだら激怒すんだろーなあ。
禁煙ファシズムとかもあるし(^^;
でもこの人にはかなわないな、みたいなね。知識の量とか、論理とか、その在り方とか。
面白いなと思ったのは、宇多田ヒカル800万枚でピンクレディー100万枚だけど、宇多田ヒカルはCDを所有されたが故に共有されない、っていう話。
ブログについてはこんな話も。
内田 何なんでしょう、この日記を書きたい動機って。
橋本 ペンションに置いてあった「思い出」というノート、あれですね。
内田 はあ、あれですか。あれは何なんでしょう。あれを書かせしめる、その根本は。
橋本 わからないです。だって何か置いてあってさ、初めのうちは何だろうと思って、読もうと思うじゃないですか。そのうちに、これは読むものではないぞというのが、脳に靄がかかるように見えなくなって、でもふと見ると、字が塊になってノート半分くらい黒い文字で埋めてあって。結局それが一つのスタイルになったわけじゃないですか。それは思考のパターンが違う人の話だから、もうよくわかりませんね。
あとよくわかるなあと思ったのは掃除する体の話。掃除しなくなると掃除する体がなくなって、観念操作で片付けしようとはするんだけど、体が動かない。
私の場合最近ね、やっと料理する体ができてきたのかな、って感じで。
広告批評 331号(2008年11月号) (331)
前回からの続きで、橋本治についての文章を読むために購入。なんかCD-ROMが付いてて、値段が1200円もして、これだけのためにこの金額を払うのってどうなの?って感じだ(^^;
ぱらぱらめくって目にとまったところは読んだけどね。UNIQLOCKを徹底分解する! という記事とか。
ある審査員に「国境どころかメディアという概念さえも超えた」とまで言わしめた、新時代の”広告”はいかに開発されたのか。とかね。ちょっとすごくないですか。全然理解はできないけども(笑)。
内田樹の文章は、まあ意外と普通に橋本治を評しているなと思った。この人が本当に「アストロモモンガ」を読んだとはとても思えないけれども。。
でもここに出てくるような、「文壇的」とか「文芸畑」とか「批評家」と言われる人たちの中に橋本治のファンは存在していて、しているはずで、
「なぜ、橋本治がこれほどのエネルギーを投じて創作活動を続けるのか」その動機が理解できている人もいると思うけどね。組織的に忌避してる理由にはならないんじゃない? なんとなく思うのは、橋本治を読むとさ、「あーこの人には何を言っても無駄だな、下手に何か言うと自分のボロが出るな」と思ってしまうんじゃない?
だからだれも書けないんじゃない。
と、「ああでもなくこうでもなく」はリーマンの破綻とか、経済の恐慌の話。
エコノミストは世界経済の枠内でしか存在しえないから、その「外側」が見えない。とか。
外側にはなにがあるんですかね?
広告批評 330号
内田樹っていう人のブログに、橋本治の書評は誰も書きたがらない、みたいな話が載ってて、それについて広告批評に書いたって書いてあったので、買いに行った。
大体広告批評って廃刊だか休刊じゃなかったっけ? と思いながら必死で探したが見つからない。ビジネス誌でもないし、文芸誌でもなさそうだし、一体どこに陳列されてんだ?
あきらめて帰ろうと思ってふと見たら雑誌コーナーの一番入り口のところにあった。新潮のyomyomとかと一緒のところ。表紙が宮崎あおいで内容は同じなのに表紙だけ3種類ある。まぎらわしー。もちろん私が選んだのはこの写真の。
肝心の、内田樹の文章は載っていなかった。。。次号かな。
代わりに養老孟司による橋本治の『「ああでもなくこうでもなく」を読む』という書評が載っていたのでそれを読む。日本人の7割がサラリーマンになってしまって、サラリーマンの常識が日本の常識になり、暗黙に世間を支配しているのは疑問だーーっつー話。
橋本治の「ああでもなくこうでもなく」No.130は、北京オリンピックの開会式みたいなスペクタクル?にはみんなもう飽きたね、って話と、福田康夫が総理大臣辞めちゃった話と、北島康介はえらいって話。
テレビ見てないから分からない。福田康夫の「あなたと違うんです」アスキーアートは何回も見たけど。
盛り上がったのかどうかは分からないが、「妙に淡々として冷静」という新しい風が吹き始めたのが、二〇〇八年夏の拾いものだったかもしれない。
なんとなく同感。妙に世間は冷静かも。この最近の株価騒動もそんな感じだし。
他の記事については、なんとか読んでみようとしたが、広告には全く興味がないものですから読めず。2,3回写真だけページめくって見て、寅さんの広告『松竹/男はつらいよ 交通広告キャンペーン「寅さんの帰郷 〜沁みる一言〜」』が一番いいなと思った。何の広告なのか全く分からんけどね(笑)。
まあでも、こういう、本屋さんでどこに置いてあるのか分からないような雑誌、橋本治とか養老孟司とか、が最初の方とか最後の方に載ってるような、ヘンな雑誌は、続いて欲しいなって思いますけどね。
江戸にフランス革命を!
なんか、吠えてますね、橋本治。
ITの世界ではガラパゴス化とか、パラダイス鎖国とかiPhoneが黒船とか言われてて、そういえば梅田望夫は明治維新賛美だったよなとか思って鎖国、明治、こりゃー江戸だなと、ふと思い出したので読んでみた。が、
江戸時代に出来た歌舞伎という演劇の中に登場する男達は、みんなとんでもなく派手な格好をしている。そしてそのことを誰も訝しがらない。僕が近代に突きつける問いがあるんだとすれば、ただ一つ、このことだけだ。まあほんとにそんだけで。
江戸は粋で洗練されてたけど、明治以降は野暮ったいよねえ、いやだよねえ、と、そういうことだよね。江戸時代に比べて明治時代が野暮ったいってのはよく分かるけど、かといって今の日本の携帯文化が「洗練」だとはとても思えない。あんまり比較にはならんかったね。
ただこういう話もあり、
都市を作るのは”親”だけど、都市に住むのは”子供”でね、結局子供は子供のまんまで満足しちゃって、文化とは子供部屋の文化であるってところに落ち着いちゃう。江戸は子供部屋で明治は書生の部屋とかって書いてあるけど、携帯文化が子供部屋だとはすごく思う。携帯小説とか典型じゃないすか。誰もが経験するある時期を過ごす部屋みたいなもんだよね。だからそういう蓄積が、今あまりにも当たり前にある携帯という文化が、将来、かつて奇跡と言われた日本の近代化のように、とんでもない変貌を可能にする日がくるかもしれない、とは思います。なにしろ日本以外にはないからね。
その他、学生時代英語が全然できなくて大学院に入れなかったとか、まあその辺の話が読めます。
浮世絵とかの挿絵がすごくて、目が惹き付けられます。
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